伝説の男、あらわる!

rybicka2005-09-03

ウチから歩いて5分とかからないところに面白いホスポダ(居酒屋)がある。ガンブリヌスとピルスナー・ウルケルを飲ませる、どこにでもある地元民の安い飲み屋。オーナーは“トシ・セストリ”(Tri sestry)というチェコのバンドのメンバーの一人で、メニューにはいちいち政治家や世界情勢の皮肉サブタイトルが付いている。TVが取り付けられている壁には、ハヴェル元大統領の二度目の結婚を堂々とおちょくる風刺画も。
私たちは毎週とまではいかないけれど、よく行く。するといつもいる白髪の初老のおじさんがいる。いわゆるここのシュタムガスト(=stamgast、ドイツ語からきた“常連”を指す言葉)である。彼は一人静かに飲んでるときもあれば、大勢に囲まれてるときもあり、バーカウンターの横にあるスロットマシンで一人遊んでいる時もある。
この日は暖かかったのでテラス席を陣取った我々のすぐ隣で、彼は仲間と珍しく興奮気味に話していた。話の内容から、彼は建築家らしいということがわかった。ヴァーツラフ広場にアパート物件を持っていて不動産屋にだまされたと話す同席の学校の先生(推定)に、その契約の破棄を勧めていた。
とそこへもう一人、黒いTシャツをきた長髪の男が通りをやってきた。白髪の建築家シュタムガストと挨拶し、彼のテーブルに加わった。と旦那が目を輝かせて「ほら!彼はイヴァン・イロウス(Ivan JIROUS)だよ。プラスティック・ピープル・オブ・ザ・ユニヴァース(以下,PPU)の」とささやく。
見たところ、どうってことないおじさんだが、この人、共産体制時代、“危険”な人物として8年ものあいだ刑務所へ閉じ込められていた人である。

美術評論家として既に有名だった彼は、当時若者たちに人気のあった、でもその歌詞などの内容から活動を禁止されていたPPUやPULNOC(右上写真。チェコのヴェルヴェットアンダーグラウンドのようなバンド)の仕掛人でもあり、ハヴェル元大統領とも関係が深い伝説の人物だ。「ニューヨークの街角のカフェでルー・リードが隣に座るのと同じだよ!」と旦那。前にもこの通りで見かけたからどうやら近くに住んでるらしい。
「サイン頼んだらダメかな?」と私。首を振る旦那。「彼は難しいひとだから…」建築家シュタムガストのテーブルに座ったのに、ろくに話もしないまま、REFLEXという雑誌を熱心に読み始め、時々思い出したようにビールを口に運ぶ。確かに声をかけにくい雰囲気を漂わせている。
私は背を向けて座っていたので、「あ、伝説は今トイレに立った」「あ、伝説は今、あなたを見たよ。こんなとこにアジア人がいるのはヘンと思ったかもしれない」「もう伝説は雑誌を読み終えて話してるよ」などと実況中継する旦那。結局、サインをねだる勇気は出ないまま、すごすごウチへ帰った。

それから“禁止されたレコード”特集が始まり、あれこれひっぱり出して聞かせてくれた。その中でやはり当時当局から禁止されたミュージシャンの一人、キーボーディストのペトル・スコウマルの印象深い1曲が。

聞けば80年代とすぐわかるDX7系の懐かしい、私ぐらいの世代には古きよき時代(?)を思い起こさせる音色。それなのにこの歌詞をどんな思いで書いたかと思うと。。。
Nezapomen kdo jses (忘れないで、君が誰かを)
Nezapomen co chces (忘れないで、何が欲しいのかを)
Nezapomen odkud prichazis (忘れないで、どこから来たのかを)
Nezapomen kam jdes (忘れないで、どこへ行こうとしてるのかを)
Je zima a jaro uz bylo (今は冬、もう春は終わったから)
Kracime pozadu (私たちは後退しているから)
Je zima a co zbylo (今は冬、そして残ったものは)
Polocas rozpadu (崩壊への停滞期間)
このサビの部分だけで、当時公には歌えない曲だったそう。直接に体制批判はしていないけれど、みんな歌詞の“裏の意味”を探しながら聞いていたそうだから。。。この部分、ty(=あなた、の親称)に向かって話しているが、このty=当時のチェコスロヴァキア、ここでの“春”=プラハの春、と置き換えてみれば共産党がピリピリするのもよくわかる。普通、春が過ぎたら夏だけど、“後退してる”から今は冬、なんである。それにしてもこんな歌詞のひとつひとつまで監視してたら、本来の仕事をする暇なんてなかったと思うけど。。。
長い冬が89年に終わり自由に何でも書ける現在、こういう音楽は過去になった。歌手はその後映画音楽を作ったりして生き残っているけれど、第一線から去った。でも今も伝説の男は不思議なオーラがあった。