おちゃめなプリンツ、ミクラーシュ

ROXY 月曜は入場料無料!

久々に午前様になるまで飲んでいた私。若い頃と違い、とてもじゃないがもうオール(これも死語かしら…)などムリ。でも昨日はちょっと頑張りました。なぜなら元クラスメートのミクラーシュの誕生日だったから!

カナダ人の彼とは去年の9月からほぼ10ヶ月、ずっと同じクラス。チェコ人の両親を持つ彼のほうがもちろん話すのは断然上手だったけれど、小賢しい文法事項は年の功でちょびっと私のほうが有利だったから、いつもテストの点では負けていた彼。
私に「前期のセメストルで“イェドゥニチカ”をとったでしょ? ぼくも“イェドゥニチカ”がほしいんだ!」とナマイキにも(笑)挑戦状をたたきつけてきた彼。でも結果はカザフスタンのアルセニイだけが栄光の“イェドゥニチカ”を取り、カレル大のカロリヌムでの卒業式でヤケ酒シャンパンを私と共にあおっていたのでした。
イェドゥニチカ(jednička)とは、通信簿の“5”みたいなかんじ。一番優秀な成績の人がもらえる数字です。日本と反対にチェコでは“1”が一番いいので、1=jedenが数名詞になった“イェドゥニチカ”が成績証明書に記載されるのは名誉なこと。口答試験、リスニング、作文を含む全テストの93パーセント以上の点をゲットしなければもらえません。
“1”(výborný=ヴィーボルニィ=素晴らしい)の次は“2”(velmi dobrý=ヴェルミ・ドブリー=とてもよい)はドゥヴォイカ、“3”(dobrý=ドブリー=よい)はトロイカ。“4”が付くともう落第です。
クラーシュは見直せばいいのに試験の半分ぐらいの時間でもう集中力が切れてとっとと教室を出てしまい、“トロイカ”。 ただの“dobrý"のみが印字された屈辱の証書をつらそうに私に見せながら、「まだきみはいいよ、ヤポンスコ(Japonsko)って国籍ならよくがんばったって言われる。でも見てよ、ぼくのはカナダ/チェコ国籍ってなってるんだからね…」「おばあちゃんに見せらんないよねぇ…」と私。

サッカーとホッケーが大好きでちょっとアジア通のいいやつ、という印象は今でも変わらないのですが、去年クラスが始まってまもなくに出たリフレックスという雑誌に載ってから、彼の苦労?もちょっと考えるようになりました。
そこには二つの国のはざまで生きる若者たちの特集記事がありました。ミクラーシュはれっきとしたチェコ人ですが、両親が彼がまだ生まれる前にカナダに亡命したのでチェコ語が英語ほど上手には話せません。
Kde domov můj?"わが家はいずこ?というチェコの国歌のタイトルにちなんで組まれたこの特集のなかで彼はこう話しています。
「カナダではぼくはチェコ人と感じて生きてきたように思う。チェコ料理を食べて、お父さんとチェコのホッケーチームを応援したりね。おばあちゃんはずっと僕にチェコ語を教え、チェコ語で話しかけてくれてたから少しは話せるけど、ここチェコが故郷かって聞かれたら全くその通り、とは言えない。こっちに来てみたらチェコ語は思うように操れないからフラストレーションがたまるし、結局外国人とばっかりいてまるでカナダ人みたいなんだ。」
先生が記事のコピーを配って教材にしたやつを家にもって帰り、旦那に見せると、"Ten má modrou krev"という旦那。直訳すると「彼は青い血を持っているね」となるのですが、そうミクラーシュはただの帰ってきたカナダ人ではなく、チェコの古くからの有名なファミリー、ロブコヴィッツ(Lobkowicz)の苗字を持った貴族だったんです。

http://www.lobkowiczevents.cz/
ロブコヴィッツ家はワインもビールも作っていて、どちらもおすすめ!
http://www.lobkowicz.cz/hospody.html

タイで購入したというヘンな日本語Tシャツを着てたり、国民劇場に行ったことがなかったり、ホッケーやサッカーの話ばかりしてておよそ高貴な生まれに見えない(笑)ミクラーシュ。翌日学校で、「ねぇ、本当に青い血なの?」と本人に聞いてみる私(笑)。ミクラーシュは苦笑い、隣でもうプラハに3年住んでいたノルウェー人のクリシュトフが「お、そんな表現よく知ってるね!」などとちゃかす。
以来、クラスメートからプリンツ、と呼ばれるミクラーシュだけど、まず本人がこの状態に慣れていないのがとってもおかしい。チェコ人は誰もがこの苗字を見れば貴族だ!ってわかるから名前を書くたびに驚かれて、ここで何をしてるの?とまで聞かれている始末(笑)。チェコ語ができて当たり前、という重圧のなかで勉強しなければならない彼は、ちょっと話したって外国人のわりに上手だね、と言われる私たちとは違います。だんだん同情的になるクラスメートたち。
前期が終わって後期に少しメンバーチェンジしたときも、最初の授業で自己紹介となるとまた、え?っていうことになり、ちょっとブルーになるミクラーシュ。ロブコヴィッツ家もいろいろあってお城を持ってるのは親戚。だからちゃんとした貴族にもなりきれない、みたいなジレンマもあるみたいで、家系図を書いてみろ、などという新参者の質問にいちいち傷ついているかわいそうなミクラーシュ。。。
何かと根掘り葉掘りプライヴェートなことを尋ねるのはどうかと思われる先生の質問にも笑顔で交わし、日本ーブラジル戦のときは例のヘンなTシャツを着てお気に入りのナカタを応援していたいいやつです。
ところで、わたしの彼のイメージはこれ(笑)。

カナダで彼のおばあさんがよく作ってくれたというミクラーシュの好物、果物(ovocné=オヴォツネー)クネドリーキ。いつも彼のおばあさんの話はとても面白かった。世界中を旅していて、プラハに来るとカフェ・スラヴィアでミクラーシュとお茶するんだそう。一度学校に見学に来る話があったけど、先生たちが過度に緊張してたので取りやめに(笑)。見たかったのにな。
元クラスメートやよく知らない彼の友達もいっぱい集まって、ナームニェスティー・ミール(náměstí Míru)のそばの青空ホスポダでだらだら飲んだ後は、旧市街のクラブ“ROXY”に場所を移して踊る元気な若者たち。いい加減眠くなったのでプリンツより先にロシア人のアリンカと帰途に。長い一日でした。