そうだ、村上さんに会いにいってみよう

半年ぐらい前のこちらの新聞に1面弱ぐらい、大きく村上春樹氏がカフカ賞をもらう、という記事が出たのがこの話を知った最初のこと。切り抜いて学校(その時通っていたチェコ語の学校)に持っていったのは、クラスメートのノルウェー人の女の子が、ちょうど『Norwegian Wood』(『ノルウェイの森』)を読んでいたから、彼女に見せたかったのです。
彼女がその本を手にとったのは単純にタイトルにノルウェーの文字があったから(笑)。記事を見せると、とても嬉しそうににっこりして、「ありがとう!」と受け取られ、見せただけなの、返して、とは言えなくなり、まだほとんど読んでいなかったそこに何が書いてあったか、結局謎のまま(ノルウェーに帰ってしまった彼女がまだ持ってるかもしれないけれど)。。。

でもその後「村上朝日堂」にて、本当にプラハに来るというご本人のコメントを見て、楽しみにしていました。といっても初版で全部持ってるとかのビッグファンではない私。ちょうど『ノルウェイの森』が爆発的に売れたときは高校生で、その旋風は今でもよく覚えています。まずそれを読み、その後『風の歌を聴け』から大体出た順に読んできて、カーヴァーなどの翻訳物もオリジナルと同じぐらい好きでした。ねじ巻き〜あたりから、仕事が忙しくなって読んでないのもたくさん。

だから、れっきとしたハルキファンにはなんだか申し訳ないと感じつつ、カフカ賞の授賞式を見に行ってきました。場所は旧市街広場にある旧市庁舎。隣は毎正時に仕掛け時計が廻るのを見にくる観光客でいつも一杯の天文時計。

10月29日の日曜日に到着し、翌日30日の月曜日。昼間は記者会見でインタヴュー。17時からが授賞式。10分前に着いて中へ入ると、いかにも愛読者、という感じの比較的若いチェコ人で会場は一杯。仕事で来られない人もいたのでしょうが、少なくともチェコに1200人はいるはずの日本人が少なかったように思い、なんだかちょっと寂しい気持ちに。

世界中にファンを持つプラハ出身の作家(といってもチェコ語ではなくドイツ語で書いた)、フランツ・カフカ(Franz Kafka)にちなんで作られた賞で、村上春樹氏は6人目の受賞者。比較的新しい賞ながら、最近2ヵ年の受賞者が、同年にノーベル賞も取っているということもあり、さらに村上氏がメディア嫌いで有名で、「最初にして最後の記者会見」かもしれない、ということでマスコミの注目を浴びました。

この賞、選んでいるのはフランツ・カフカ協会のカフカ賞委員会。受賞作家の条件は、特にジャンルは問わないけれど、1冊はチェコ語で読める本が出版されていて、デモクラシーと寛容さ、ヒューマニズムの見地から賞を贈るべき世界的に重要な作家、ということになっています。
村上春樹氏のチェコ語訳は、最近出た『海辺のカフカ』(Kafka na pobřeží)、『ノルウェイの森』(Norské dřevo)、『国境の南、太陽の西』(Na jih od hranic, na západ od slunce)の三冊。
今回、村上氏は12人の候補者から選ばれたのですが、もう何年も前から選考委員会で名前が出ていたのだそう。
受賞者は、1万ドル(約24万コルナ)の賞金と、ヤロスラフ・ローナ(Jaroslav Róna)作のカフカ像のミニチュア像(写真真ん中にある黒いのがそれ)をもらいます。本物の像はプラハユダヤ人地区、ヨゼホフにあります。

さて、そのフランツ・カフカ協会のサイトはこちら。
http://www.franzkafka-soc.cz/index.php?lang=en&action=view&page=xcenafkafky
カフカ賞のスポンサー。

彼の人気と注目度には狭すぎた会場でしたが、スーツにネクタイ姿の村上氏とブーケを手に持った奥様が入場すると、たくさん集まった記者さんとカメラマンさんに囲まれ、フラッシュの嵐。

上院議員プラハ市長(ベームさんは来れずに代理人)、それにカフカ協会の人たちなどが次々とお祝いの挨拶を述べ、作家の簡単な経歴・作風(?)紹介があった後、村上氏本人からの挨拶が英語でありました。内容は授賞式の前の記者会見での話と重なるところもあるようなので後述するとして、ほとんどの人が初めて聞いたであろう彼の声の印象は、本のイメージから離れるものではありませんでした。全く慣れていない(なんたって初めて、ですものね)はずなのに、落ち着いて丁寧に、わかりやすく短く、きれいな英語とわかりやすい発音で、きちんと会場の人たちを見ながら語っていたと思います。

その後、お祝いの素晴らしいヴァイオリン演奏があって、隣の小さなホールで乾杯、となりました。ぞろぞろと皆が移動すると、村上氏はカメラ責め、サイン責めに。熱心にノートを開きながら質問するチェコ人も。レセプション会場では主役なのに、部屋の一番隅っこにこっそり(?)立ちながら、それでも質問などに応じていたようでした。

翌日はヴァーツラフ広場に面した大きな本屋さん、ルクソールにてサイン会があり、こちらもすごい人、すごい列。一人であごで支えるぐらいの本を持ってる人もいて、「一人2冊まででお願いします!」と慌てて主催者がアナウンスしなくちゃいけなかったほど。初めてのプラハで観光もままならないうちに、初めての記者会見に初めてのサイン会…と初めてだらけで相当お疲れだったことでしょう。。。

おいしいビールは経験されたようですが、観光する暇はあったのでしょうか。サイン会に行った友達と、私が村上春樹だったら、ここは外せないよね、あそこは行かないよね、などと想像の“村上春樹プラハ観光プラン”を肴に夜は更けていきました。

カフカプラハ村上春樹
さて、一般的に賞などというものに興味がないし、記者会見など人目に出ることが好きではないという村上氏がなぜプラハに引き寄せられたのか、それは偶然でもあり必然でもあるようです。
カフカは、氏が15歳のときからお気に入りの作家であり、彼の名を拝したこの賞にも作家と同様の敬意をはらうべく授賞に臨んだとのこと。
“15歳の遠く離れた日本の男の子が、西洋の伝統に根ざした作家であるカフカをどう読んだのですか?”という少し意地悪な質問には、初めて読んだ作品は『城』で、それまでに出会ったことのないタイプの作品に驚き、以来、彼の作品のほとんどを読んだこと、現実と非現実―何が“現実”かなんて正確には言えないけれど―が同時に置かれているスタイル、本当のこととそうじゃないことがパラレルに存在してる独特のスタイル、それでいて、精神的なノーマルさも併せ持つ、そのアンビバレンスが好き、という記者会見でのやりとりが地元新聞で説明されています。
授賞式に先立って行われた記者会見の中では、西洋と日本の自殺に対する感じ方の違いや、氏の実際の人生とこれらのテーマの関わりなどについても活発な質疑応答があったようで、素人は文学雑誌などに特集が出るのを楽しみに待つとします。
海辺のカフカ』を執筆している間中、カフカのことを考えていて、カフカ賞の受賞を知らされたときは象徴的なその偶然にまったくびっくりしたんだそうです。

プラハに氏がやってきたとき、「ここにいるのが不思議」と感想をもらしたそうですが、『城』が象徴するプラハに、少年の頃から(57歳の今でも少年がそのまま大きくなったような印象のひとでしたが)つながっていたのかもしれませんね。
次回はプラハ国際マラソンに出場っていうのをひそかに期待。。。