聖キリルと聖メトディウスの日に
七夕とその翌日が週末だったので、チェコは7月5〜8日まで4連休でした。6日は旧市街広場に銅像がある(残念ながら当分修復中で見れませんが)ヤン・フスの日。その前日5日は、聖キリルと聖メトディウスの日でした。
ヤン・フスは有名なのでいいとして、この聖人二人はいったい誰?ってコトで、ちょうどこの日を記念して公開してるという同名の教会へ行ってきました。
ヴルタヴァ川沿いを南に下り、イラーセク橋とダンシング・ビルが見えたところで左に折れると、教会のあるレスロヴァ(Resslova)通りに出ます。
ここはキリスト教のオーソドックス(東方正教)の教会。カトリックともプロテスタントとも違うイコンがあらゆるところにあるのがその特徴。
18世紀前半に建てられたときはカトリックの教会で、ちょっと変わった経緯で正教の教会に。階段を登ると、美しいバロックのファサード。
内装は、同じバロック建築の旧市街広場の聖ミクラーシュ(聖ニコラス)教会などと比べて質素だけど、くどくなくて好印象。
イコンの説明や、チェコの正教の歴史などを説明してくれるガイドさんの話を熱心に聞くみなさん。
この聖キリルと聖メトディウスのギリシャ兄弟は、9世紀頃、大モラヴィア帝国(現在のチェコのモラヴィア地方からスロヴァキア、ハンガリー、オーストリアにまたがる場所にあった)に布教しにきた人たち。重要なのは、彼らが聖書を当時のギリシャ語からスラヴ語へと翻訳して布教したこと。この功績は大きかったようです。チェコはキリル文字を採用していないけれど、スラヴ諸語のキリル文字の“キリル”は、この聖キリルから付けられたのだと、今頃知った次第。。。受験のときの詰め込み世界史は苦痛だったけど、実際に見える場所から関連づけていく歴史だと好奇心が沸いて、今世界史の本読んだら、バラバラな知識が糸のように繋がりそうな気がします。
この教会はちょっと面白い構造になっていて、今まで話したところは日本でいう2階にある教会内部の話。1F部分はこの7人のチェコの英雄たちの博物館になっています。
この教会は、前に書いたリディツェ村事件の発端にもなった、ハイドリッヒ殺害に関わった彼らパラシュート部隊7名が報復にきたナチスによって最期をとげた場所なのです。
通りに面した壁に銃弾の跡があるの、わかるでしょうか?
第二次世界大戦さなか、「チェコのドイツ化」徹底のためにナチス親衛隊No.2のラインハルト・ハイドリッヒがプラハにやってきてやりたい放題。在英亡命チェコ政府のベネシュは秘かにハイドリッヒ殺害を計画。かの地で訓練を受けたパラシュート部隊が、現在のプラハのリベン地区にある通りで暗殺実行。即死ではなかったものの、数日後にその怪我がもとでハイドリッヒは息絶えます。
当時の暗殺場所。
実行後、レジスタンス協力者などの支援でプラハを転々としますが、ナチスの報復は執拗でした。リディツェ村は、実行犯をかくまったかもしれない疑惑だけで村中破壊され、当時のジャーナリストや一般の人でさえも「ハイドリッヒが殺されてよかった」などと言っただけで殺されたとのこと。次第に追い詰められたパラシュート部隊が逃げ込んだのが、この聖キリルと聖メトディウス教会でした。
しかしながら、仲間の一人カレル・チュルダの密告により、7名に対し800名ものナチス軍を送り込まれ、1942年6月18日、ここが彼らの最期の戦場となりました。
彼らを匿った教会関係者はもちろん、リディツェ村のことも含め、代償はあまりに大きく、このハイドリッヒ暗殺については賛否両論があるのだそう。結局戦争からの解放者はソ連、ということになったのですが、チェコにも勇敢なレジスタント運動があったのです。
Národní památník hrdinů heydrichiády 〜Místo smíření〜
(ハイドリッヒ事件の英雄のための国立記念館)
開館日時:火〜日10〜17時(※10〜2月の冬季は16時まで) 入場料大人50kč
http://www.pravoslavnacirkev.cz/pamatnik.htm