ヨゼフォフ(プラハのユダヤ人街)でデモ

パリ通りでのデモ


チェコでは白い馬に乗った聖マルティンが雪を運んでくるといわれる通り、地方や山間の寒いとこはもちろん、プラハにも雪や雹が降りました。去年は一度も使わないで済んだダウンのコートを着ても外にいると底冷えします。今からチェコへいらっしゃる方は、スキー場の寒さを想像して服装を準備されるとちょうどいいぐらいかと思います。

さて、こないだの土曜日(11月10日)は前もって報道されていたとおり、極右勢力及びネオナチスト、それに反対するアナーキストのデモ、それと今年69年目にあたる「水晶の夜」(Křišt'álová noc、ドイツ語ではクリスタルナハト)ユダヤ自由連合の集会が同時にプラハの旧市街、かつてのユダヤ人ゲットーがあった周辺(Josefov地区)でありました。

外国からもネオナチストと目される人たちの参加が見込まれ、極右のデモにはいつもやってきて反対する極左アナーキストも同場所でデモをすることを表明。しかもこうした歴史的な記念日にユダヤ人街で、となるとどんな衝突、混乱が起こるかわからないということで、事前に裁判所でデモの不許可が言い渡されていましたが、極右グループは敢行することに。それを受けて警察は着々と準備していたようです。事前から約1400人動員予定と言っていました。

数日前には日本大使館領事部からも厳重注意のお知らせが、新聞にも冷やかしは警察のジャマなので控えるようにとのお達しが。当日旧市街で前々から予定していた用事があった私達はトラムは何かあったときもっと危なそうなので徒歩で行くことに。

チェフ橋に近づくと上空には旋回するヘリコプター、警官の姿が目立ってきましたが、止められることもなく静か。でもカレル大学法学部を過ぎてパリ通りに入るとものものしい警備。

スグリーンの警察の装甲車の奥に見える建物が、カレル大学法学部(pravnická fakulta)

インターコンチネンタル・ホテルとパリ通りの間には、極右グループの車が。

この車から控えめな音量で、音楽(特にこれといった特徴は感じられず…)が流れていましたが、見た目ネオナチっぽい人はいても目だっていませんでした。なぜなら、周りのほとんどはアナーキストと思われる人たちだったからです。若くて、服装や髪型はパンクバンドのライヴに行ったときに目にしたのと似た傾向。違うところは帽子やサングラスで顔や目をガードした人が目に付いたことでしょうか。

彼らは概して静かで、何か起こったら動こうとしているようでした。

通りはぎっしりというほど人がいるわけでもなく、観光客や住人が合間に普通に歩いていて、警察は、デモ参加者や私も含め通行人が遠巻きに写真を撮る分には気にしていないようでした。中には装甲車をバックにピースサインをして集団で記念写真撮ってる観光客もいて、警官たちが苦笑いというシーンも。

ところが突然法学部のあたりからピストルの発砲音がし(ガスピストルだったらしいですが)白煙があがりました。するとスタンバイしていた警官の一部が素早く走って現場へ。静かに待機していたアナーキストと思われる団体もそれを追いかけるように移動し、あたりは閑散と。


シナゴーグの前を歩く警官たち。



極右がデモ行進を予定していたパリ通り以西へ続く道は、全ての通りの入口が厳重に警官によってふさがれているようでした。

旧市街広場では、修理中のヤン・フス像前でユダヤ自由連合の集会が開かれていて、こちらは2000人以上が参加したとのこと。バンド演奏や関係者の演説などがあったようですが、私が通ったときはこちらも比較的静かでした。

胸に黄色いダヴィデの星ワッペンを貼ってる人を多く見かけました。ユダヤ人集会関係者以外の市民も参加していたようです。

結局翌日の報道などでは、2000年9月のIMF会議の際以来の大掛かりなデモと言われていた今回のデモを最小限の被害で押さえたので、「警察はよくやった」との言葉が多く聞かれました。
軽い怪我人は出たもののアナーキスト5人、極右1人、警官1人の計7人で済んだこと、総費用は1500万コルナ(約9千万円)かかったそうですが、交通に関してもトラムやバスなどもほぼ混乱は出なかった(個人の車1台、警察の車1台に被害があったのみ)こと、主にスロヴァキアやドイツからチェコの極右応援デモに駆けつけようとしたネオナチストグループを国境や郊外の駅などで拘束し、プラハ中心地まで来させなかったことなどが評価されたようです。

プラハ警察トップのPetr Želásko氏によると、結局このデモの参加者は極右(ネオナチ)3〜400人、極左アナーキスト)1000人、その他100人程度だったとのこと。まずは該当地区に入れさせない、という作戦が功を奏したようです。パリ通りのブティックなどは閉まっているところもあったけれど、(パリ通り以西のヨゼフォフ地区の状況はわかりませんが、ほぼ閉まっていたと思われます)、ほとんどの観光客は宿泊先からの情報を元にヨゼフォフ地区は避けていたはずですが、まばらにいた人たちも怖い思いをしないで歩けたのは観光地プラハにとっては重要だったでしょう。

週刊誌Týdenには、「青年国民民主連盟チェコの極右団体)代表のErik Sedláčekは、ドイツから来たネオナチたちにプラハの夜景を見せるためプラハ城へ案内したそうだけど、ドイツからの訪問者たちはそんなこと評価してないはず」とアナーキストのサイトで揶揄されていた、との記事が。デモに来ても一応観光とかするのね。。。というかデモ行進自体が思うように出来なくて、プラハに来たもののやることがなく、観光するしかなかったのかも。

でも今月17日(チェコの祝日“自由と民主主義のための闘争の日”)に今度はパラツキー広場で極右勢力のデモが予定されているとの情報もあり、警察は引き続き警戒していくとのこと。