プラハの夜と『アメリカの夜』〜映画に愛をこめて〜

映画の宝箱みたい!


この映画を最初に見た映画館はどこだったか、はっきり思い出せないけど、今はなき六本木シネ・ヴィヴァンか、渋谷プライムか、はたまた西洋銀座だったか、いずれにせよそのあたりのレイトショーだったと記憶しています。

映画おたくから泣く子も黙る評論家になり、俳優もやり、ついに監督になってしまう、フランソワ・トリュフォー(François TRUFFAUT)1973年の作品『La nuit americaine』(邦題は『アメリカの夜』映画に愛をこめて)は、映画ファンにとっては宝物のような1本でしょう。

今日でこれを見たのはたったの2回目なのに、初めて見たときのなんともいえない切なさというか、心を締め付けられる感覚がよみがえってきました。

どんな映画か、まだ見てない方のためにおおざっぱに。『Wの悲劇』とか『蒲田行進曲』とかのように劇中劇とリンクして話がすすむ、つまり映画(→架空の『パメラ』というタイトルの映画)の撮影についての、ものすごくよくできたメイキングのような、いやドキュメンタリーのような映画で、劇中映画の監督も、もちろんトリュフォーが熱演、というか、多分地のまま(笑)やっています。

まず、おしゃれなタイトルバックにやられます。あの色はまさに私が思うところのフランスブルー。本編に入ると、とある小さな広場のなんてことない雑踏のなか、地下鉄の階段をあがってくるジャン・ピエール・レオ(Jean-Pierre LEAUD)が。彼を追っていくカメラ。するとある初老の男性の前で立ち止まり、いきなり平手打ちをかまし…ど、どうなるの〜?と思うちょっとの間のあとに、「カ〜ット!」の声、監督のもとへ集まるエキストラ。。。この冒頭の劇中劇のワンシーンが実際の映画のワンシーンに重なってるというところから、映画が完成し、打ち上げが終わり、スタッフがバラけるまで、観客は時には監督になり、あるいは俳優、ヘア・メイク、脚本家、小道具、プロデューサー、はたまたただのやじうまのようになったりしながら映画の撮影に参加していくのです。

これ以上のネタバレはやめときますが、とにかく抱きしめたいような映画の映画。ハッピーエンドがほとんどない気がするトリュフォーの映画ですが、これは映画への愛にあふれた、いや、もうこの人から映画を取り上げてしまったら枯れて死んでしまうに違いない、というほどの覚悟のある、確信犯的な映画。トリュフォーのごとき筋金いり映画おたくもちょっとした映画好きもあますことなくあっち側へ連れて行ってくれる素敵な映画。トリュフォーの、映画そのものへの愛着、映画的なものへの愛着、そして映画を作っている人たちすべてに対する家族のような思いがひしひしと伝わってきて、そのどこか尋常でない世界をはっきり意識しながらも、愛さずにはいられない、一人の映画好きの魂を丁寧にフィルムに写しとったような貴重な映画なのです。

久々に更新したかと思えば、何をとうとうと…とおっしゃることなかれ。PCの機嫌がかなり悪く、それにかまけてサボってました、ハイ。すみません。それで何をやってたかといえば、いつもより多めの映画館通い(いつもと同じじゃん…笑)。

ナーロドニー・トシーダ(Národní třída)そばの、かつての秘密警察本部があった(今も警察署だけど)建物の向かいに、プラハで最も安価で良質な名画座、国立フィルムアーカイヴ、ポンレポ(Ponrepo)があります。ここ最近、古い日本映画をやっていたので、頻繁に通うことに。するとついつい面白そうな他の映画も見る羽目になります。

この日は篠田正浩監督の『沈黙』(1971)をやっていて、その後が『アメリカの夜』(チェコ語タイトルはAmerická noc)でした。映画の合間にロビーで待っていると、カレル大学でも一緒だったベラルーシ人のナスチャが。彼女も学校のフィルムクラブの常連で、ポンレポでばったり会うのも三度目。ナスチャは『沈黙』と『アメリカの夜』の時間を取り違えていて、来たばっかりなのにもう帰ると言う。「この後はフランス映画だけど、すっごくオススメだよ」と言うも、「うん、知ってる。っていうか今知った。でも『沈黙』が見たくて来たから。。。」と初志貫徹(笑)。ひとしきり『沈黙』話をした後に、ホントに帰ってしまいました。何度見ても(って2回しか見てないけど…)いい映画なのに〜。

このポンレポでは、日本映画特集の他にも、最近ではイジートルンカ(Jiří Trnka)特集もやっていて、なんとホンモノのカメラマンさん(すっかりもうおじいさんだったけど)が来て、上映の前に製作当時の苦労話を語ってくれたり、同じイジーつながり、メンツェル監督の『つながれたヒバリ』(Skřivánci na niti)のときには、共産主義時代の犯罪を調査する会の方々(やっぱりこちらもおじいさんたちでしたが…)が来て、上映の前後に当時のお話や質疑応答があったりして、プラハの貴重な文化発信地のひとつ。

さて、『アメリカの夜』に戻ると、何故アメリカは全然出てこないのに、このタイトルなのかといえば、映画の撮影技術用語なんだそう。レンズに特殊なフィルムを貼って昼間に撮影しても夜のようになる、というハリウッドの手法。デジタルでどうとでもなりそうな昨今からすれば、なんとも古き良き時代。ああそれにしても徹頭徹尾、映画!!の映画です。

身近な映画おたくといえば、ウチの旦那(笑)。どうやって手に入れた?って訝るほどの大物映画人たちのサインのコレクションとほんの子供のときからの映画館通い。共産主義時代のほうが国の手厚い保護があった分、恵まれていたところも。もちろん発禁処分にされた映画も多かったのですが。。。

この写真の右側に映っているのは、マラー・ストラナ広場そばのとある塔。この丸い窓のところに、かつて旦那のお気に入り監督の一人が住んでいて、サインをもらいに同級生と訪れたときにエレベータが途中で止まってしまったのだそう。その時ちょうど降りてきた監督に会い、エレベータのドア越しに「サインをもらいに来ました!」と叫ぶも、当の監督は「ああそうですか…」と何事もなかったかのように階段を降りていったのだとか。考え事でもしてたんでしょうか。閉じ込められっぱなしの小学生2人は管理人さんに助けてもらって無事脱出、後日出直して、監督のサインをゲットできたそうですが。。。

そしてちょうどこの丸窓の部屋は、あの『コーリャ愛のプラハ』の映画のなかで主人公ロウカのアパートになっています。トラムの停留所、Malostranské náměstíで降りた時は、ヴルタヴァ川のほうを向いてみてください。目の前にある建物の上の4つの銅像が目印です。

映画館を出ても、まだ映画のなかのようなプラハの夜にて。。。