オタ・パヴェル博物館とナチスに消された村、リディツェ

42歳の生涯だった。。。


日本もそうだと聞いていますが、ぽかぽか陽気は一転、プラハも花冷え厳しい今日この頃。でもせっかくの日曜日、めげずに真冬の格好に戻り、プラハ郊外へ。

地下鉄A線デイヴィツカ(Dejvicka)駅からクラドノ(Kladno)行きのバスに乗ることおよそ20分、プラハ郊外、ルズィニェ空港のさらに北にあるオタ・パヴェル(Ota Pavel)の博物館へ行ってきました。
チェコ人にも人気のこのユダヤ系作家、代表作のひとつ『美しい鹿の死』(Smrt krásných srnců)は邦訳も出ています。読みやすい短編ながら美しい風景描写とチャペックの再来とも言われる粋な文章で、おすすめのチェコ文学。

1986年には、カレル・カヒニャ(Karel Kachyňa)監督で映画化もされています。

バスをBuštěhradと呼ばれる城跡の名前の停留所で降り、坂を池のほうに下ると小さな博物館が見えてきます。

オタ・パヴェルが幼少期を過ごした時代とさほど変わらないのでは、と思える、博物館の他は特に見どころもないのどかな小さな村。

オタ少年が家族で釣りに通ったであろう近くの池には、白鳥と鴨がのんびり。向こう岸に見える赤い屋根は、地元の小さなビール工場。


博物館は小さいながら、作家の小さい頃からの写真の数々、愛用の釣り道具、スポーツライターとしても新聞や雑誌に文章を書いていた作家のホッケーやサッカーグッズ、結婚証明書(!)…と興味深いものがぎっしり。面白いところでは、作家の父が当時売っていたスウェーデン製の掃除機なども。世界各国で出版された本もこの通り。
そして愛用していたタイプライターも。

デザインが美しくて見入ってしまったチェコスロヴァキア釣り連盟の証明書。

それからこれ、タイプライターの左にある古い魔法瓶みたいなの、なんだかわかりますか?

私は想像すらできなかったのだけれど、炭酸水(ソーダ)メーカー、とでも言うべきポットなんだそう。旦那の小さい頃はどこの家庭にもあったらしく、お店で炭酸ガスを詰め替えてもらい、水道の水を入れて作るんだとか。どんな味がするのかしら。。。

☆オタ・パヴェル博物館の情報☆
住所:Palackého ulice 56, 273 43 Buštěhrad 
開館日時 : 4〜10月:土日のみ10:00〜17:00、11〜3月:土日のみ10:00〜16:00 ※10人以上の団体の場合は平日も可(電話にて要交渉)。 Mobil:732-912-681, 732-912-332 入場料:25kč
 

Buštěhrad村の小さな郷土博物館的役割も兼ねているこの建物を出て、少しお散歩。郊外らしい、ちょっとさびれたアパート。

まだ現役で走ってるらしき赤いレトロなトラバント

春の象徴、コチチカ(Kočička)の木が池のまわりにたくさん。

さて、このBuštěhradからバスで一駅プラハに戻ったところに、第二次世界大戦当時の“ナチスに消された村”として有名な、リディツェ(Lidice)村があります。

ヒムラー率いるナチス親衛隊SSのNo.2で、当時ナチス占領下にあったボヘミアモラヴィアのドイツ化を任され、その冷酷さで恐れられたラインハルト・ハインリヒが、チェコレジスタンスのパラシュート部隊に暗殺されたことへのナチスの報復として、そしてレジスタンス活動への見せしめとして、犯人を匿ったのではという言いがかりに近い疑いをかけられたこの村全体が虐殺、焼き討ちされたという、まさにその悲劇の場所。

詳しいリディツェ村の歴史については、ウィキペディアを参考に。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%84%E3%82%A7
元リディツェ村があったところに建てられた博物館は、テレジン強制収容所とともに、チェコ第二次世界大戦の歴史的な見どころとして外せない場所です。

http://www.lidice-memorial.cz

ここでは短い映画(英・独・チェコ語から選べる)をはじめ、リディツェ村の人々ひとりひとりの写真や当時の村の様子などを見ることができます。
村の成人男性全員と女性の一部は射殺、その他の女性たち、子供たちは散り散りにドイツやポーランド強制収容所へ送られ、そのほとんどが死亡あるいは行方がわからず…。それでも一部ドイツ人に預けられた子供(人種的に“優良”とされた子供は、アーリア化の実験台として再教育された)や終戦まで強制収容所で生き延びた人たちなどが、わずかな生存者として戦後チェコに戻って、彼らが語ったビデオがあります。家族との突然の別れ、チェコ語の禁止、劣悪な収容所キャンプのこと…想像しがたいつらい話ばかりですが、しっかりと話すその姿に、そう遠くない過去であることを思い知らされます。


写真のように焼き払われた跡地は記念公園として残されていて、少し西のほうに、帰ってきた元リディツェ村民を中心に新しいリディツェ村ができています。 ナチスの虐殺が始まった6月10日には記念式典なども催され、世界からリディツェ村へ送られた薔薇が見ごろになる時期。寒い今は閑散としていて、余計につらくなってしまうかも。。。
この惨事は1942年のことですが、翌年にはオーストリア出身のフリッツ・ラング監督が、亡命先のアメリカでこのリディツェ村の悲劇を題材にした映画『死刑執行人もまた死す』を作っています。反ナチスプロパガンダ映画とはいえ、ゲシュタポの怖さがリアルに伝わってくる、そしてサスペンスものとしても完成度の高い作品。

1930年生まれのオタ・パヴェルもやはりこの時代を生きなければならない一人でした。2人の兄と父はテレジンへ送られました。うつ病に悩まされながらそれでも彼の文章は暗くはなく、さりげないユーモアでほのぼのとさせてくれます。チェコ語で味わえたら、もっと良さがわかるのかも。。。