東欧雑貨オークション!

東欧雑貨のオークション!


ブログで紹介しておきながら、ちゃんとURLを見てなかった私。今朝、旦那から「あの展示会の後、あそこにあったもののオークションやるらしいよ」と聞き捨てならない情報をゲット。
というわけでまたもや仕事を終えてダッシュでウンプルムへ。私のブログを見て時計を気に入ったという友達が既に会場にスタンバっていました。

100kcのエントリー料金を支払って名前とパスポートNo.を記入し、サインしたら登録完了。私はカバンと古い雑誌が目当てだったのですが、展示にあったもの全部があるわけではなさそう。全64点、既に番号が付けられ、20人ばかり集まっています。



会場に集まったひとたち。「あなた、何がお目当て?」と事前にライバルを見極めんと探りを入れるフライングなひともいます。

サモトラケのニケ像もどきの下で品定めに真剣な参加者たち。

大学構内の階段を利用して、でもマイクもトンカチみたいなのも用意してて、文化祭っぽい雰囲気なのだけど、それなりに本格的。どう見てもガラクタ(笑)というものも言葉巧みに褒めちぎられつつ若い女性二人に交互に壇上へ連れてこられます。品物と最低金額が書かれたパンフを片手に、欲しいものがあれば自分の番号札を掲げます。

ランプやグラス類、電化製品、洋服…と展示で気がつかなかったものも。

あのトイレットペーパーは10kc(約60円)から始まって、予想通り人気に。この右の男性がどうしても欲しかったらしく、最後は70kcまでいきました。確かに箱だけでも今や貴重かも。


雰囲気あるシャンデリア。

ボケボケですみませんが、これ、なんだかわかりますか?
髪の毛を乾かす器械だそうですが、いくら西ドイツ製だからといっても、なんだか信用ならない感じが(笑)。

その場にいた赤ちゃんにも会場の興奮が伝わったのか、階段をはいのぼり番号札をさかんに振ってました。

レトロな花柄の壁紙は110kcでデザイナーっぽい女性がお買い上げ。いい買物だったね!と友達に褒められてました。本当にカワイイ柄だし、10mも巻があるらしい。。。

このSSMと文字が入った赤い旗も人気で10kcからどんどん金額があがりました。SSMって何?と友達と話していたら、友達が主催者の人に聞いてくれて、なにやらボーイスカウトのような青年が集まる団体名とのこと。。。

そしてこのかわいらしい赤いテレビ! 白黒ながらまだ写るとのこと。あっという間に競り落とされました。

オークションはアナウンスもパンフも全てチェコ語。途中、運び係の女の子がプラスチックの3つセットの食器を落として破損させるというチェコっぽいハプニングがあったものの、終始和気藹々と進みます。見たところ外国人はあまりいなさそうでしたが、もちろん私も参加。台所用の時計が出たときに手を挙げたら、ライバルがたくさん! 10kc〜20kcぐらいずつ上がっていき、あっという間に値段が倍に。最後は一騎打ち。しつこく追っかけてくるのでだんだん腹が立ってきました(笑)。

笑いをこらえつつこの様子を見ていた友達が、「大丈夫、相手、財布の中確認してるよ(笑)」と後ろからささやきます。これで一気に強気になった私(→こっちも実はたいして持ち合わせないクセして)、このrybicka様に(→いつのまにか女王様キャラに変身!)勝てるとでも思って!? と相手が値段を言ったら、相手の顔も見ず、5秒以内に値上げ。粛々とこれを繰り返し、やがてトンカチがたたかれてついにゲット! このオークション一番の?死闘の末、闘うヤポンカが勝利しました。

いや〜熱くなるもんですね。(→単なる負けず嫌いの主催者の思うツボ…苦笑)。友達は易々とお目当てをゲット。どうやらオークションでは堂々たる態度がカギのようで、この辺のやり方を心得てる彼女に感嘆。。。時間がたつにつれ、トンカチをたたくまでの時間が短縮され、「さっさとこれ終えてビールで打ち上げしたい」という主催者側のそわそわ感が伝わってきました。というわけで緊張感ゼロ(笑)のオークション、それでもすっごく楽しかった♪


大学構内に設置されたフサーク時代の3kアパート。

外に出たら、とっぷり日は暮れておりました。夜のルドルフィヌムが美しい。

で、今日の戦利品はというと。。。

くだんの時計。数字のフォントがすごく気に入って。

6つセットの小さいグラス。



オリーブ少女も青ざめるに違いないキュートさ、70年代のチェコのファッション雑誌など。

リアル東欧雑貨

チェコの70年代おもちゃはセンス抜群


手袋がほしい!って思うほど寒かった今日。プラハはもう日本的に言って真冬です。風が冷たいのなんの。そんななか、仕事帰りに超ラヴリー(→もう誰も日本で使っていなさそうだけど他に思いつかず…)な展示会へ行ってきました。

のだめカンタービレ』でおなじみ、チェコフィルの本拠地であるルドルフィヌムの前に、Vysoká škola umělecko-průmyslová v Praze、通称ウンプルムという美術(建築・デザインも含む)大学があります。ヴルタヴァ川沿いの伝統ある校舎、入口はルドルフィヌム正面と向かい合わせ。

ココで今やってる“フサーク時代の3+1アパートカルチャー70s”(Husákovo 3+1 Bytová kultura 70.let)という展示会は東欧雑貨フリークにはもうたまらないラインナップ。

ユニークなのは、その展示の仕方。時は「プラハの春」がワルシャワ条約機構軍によって今日のような寒い冬に逆戻りした時代。チェコスロヴァキアのとあるパネラークの3Kの一室に小学校と幼稚園に通う二人の子供をもつ家族が住んでいる…。そこへお邪魔したような展示会なのです。というわけで今回はrybičkaと一緒にめくるめく東欧雑貨めぐりにお付き合いください。

入ってすぐの子供部屋には、ウチの旦那が持ってたのと同じものがたくさん。

「ああこれ、覚えてる。砂場でこれで遊んでた…」という旦那。その頃はきっとすごくかわいかったことでしょうね…(ため息)。

旦那もやはり愛読してた絵本。

本棚に掛かっているのはヨゼフ・ラダのカレンダー。

まんま縮小したようなリアルなおままごとセット。

こじんまりとした2段ベッドには年甲斐もなくほしくなってしまうようなかわいいぬいぐるみたちが。

乳母車(ベビーカーよりこっちのほうがしっくりくる)に寝かされた人形達は長くて豊かな睫毛が超ラヴリー。


文字盤が見やすい壁掛け時計。

当時のブロック。進んだ工業国だったことがうかがえる一品。


鞄のデザインも色も凝ってて、ステキ。復活モデル作ってほしいな。

リビングでは、訪れた人がくつろいで当時の雑誌などを見れるような心にくい演出。

コミュニズム時代はあまり質のいい衣料品がなかったせいでしょうか、裁縫雑誌が充実。


刺繍なんて学校でやったぐらいしか経験ないけど、な、なんてかわいい絵柄なんでしょう!

ソファに座ってテレビも見れます。

これがまたやってる番組が当時のもの、という行き届いた演出。もちろん白黒。
テレビゾル、と呼びたくなります。上にのっかってる瓶はチェコのワイン。

これも旦那が持ってるのと同じプレーヤー。

電話器と郵便番号帳。コミュニズム時代っぽいデザインだけど、たかだか番号帳ごときになかなか洒落てるでしょ。

昔のお札も。スロヴァキア語と思われる表記が。

テーブルの上には炭酸水用ポットといい感じにくたびれてるアンティークグラス。

でもここのハイライトはなんといってもキッチン周り。実際にリアルタイムで使ってたものがいっぱいある旦那世代以上のチェコ人は懐かしそうに、そして若い人たち「あ〜、これこれ、これもバビチカんとこにあった〜」などと嬉しそうに見ていました。バビチカ(babička)はチェコ語でおばあさん。

色違いだけどウチにもあります(まだ現役)。

これが炭酸のもと。箱のデザインもいい〜。

日本じゃあんまり見ないソーセージ缶、色合いがレトロな感じ。隣は板チョコ。

ジャムの瓶もかわいい。

小麦粉入れ。チェコ料理では、スープにブランボラークにお肉料理のソースに、と何かとよく使います。

これは、はかり。ウチにも色違いがあります。これもまだ現役。

水と薄めて飲む甘いシロップ。なぜかどこのチェコのおたくに行っても、このシロップの定位置は台所の流しのところと決まってるかのように、ここでも。お料理や洗い物しながら主婦が一杯やるシロモノなのかも。私はめったに飲みませんが、ウチにももちろん定位置に置いてあります。

レトロなダイニングテーブル。その上には…

ロフリーク(rohlíky)。チェコでは今でも定番の軽い白パン。スーパーでこれを10個とか袋に詰めて買ってるチェコ人を毎日のように見かけます。

ドアもまったくウチと同じ(苦笑)。計画生産で1メーカーだけだったのかしら。

トイレに置いてあった当時のペーパー。…わら半紙のような懐紙のような…(怖)

玄関には靴磨きセット。

雰囲気たっぷりの旅行トランク。でも当時行くことが許された外国は東側ブロックだけでした。

来週月曜日(10/22)までやってます。チェコならではの展示会、もしプラハにいらっしゃるならオススメ。アンティークショップのようにモノを買うことはできないけれど、巧みに当時が再現されたアパートは一見の価値あり。まさに映画『グッバイ・レーニン!』の世界なのです。

“Husákovo 3+1 Bytová kultura 70.let”
住所:náměstí Jana Palacha, Praha 1
URL:http://www.husakovo.net

ラドゥーザ(Radůza)のライヴ

Radůzaの歌詞がとても好き


ホスポダに入ると、まだスヴァジャーク(svařák=ホットワイン)じゃなくピヴォ(pivo=ビール)を頼んでいるけれど、朝晩ぐーっと冷えるようになったプラハ。朝家を出るとき気温3度で白い息とかってザラなので、今から訪れようという方は日本の冬を想定して洋服選びを。

寒いのはつらいけれど、空気が澄むのか夜景が美しく見える季節でもあります。

旧市街広場を望む聖ミクラーシュ教会と、すぐ横のカフカの生家跡を馬車が通りすぎていきます。カツカツカツ…という馬蹄の音を聞いていると中世にいるかような気分に。

さて、今晩はここからすぐのプラハ市立図書館ホールで行われたラドゥーザ(Radůza)のライヴへ。
彼女のライヴへ行くのはこれで3回目なのですが、人気なのにあんまりライヴをやらないせいか毎回売り切れ。
ストリートミュージシャン出身ながら、プラハコンセルヴァトワールで学んだ変り種、その七変化な歌声とヴァラエティに富んだ音楽性、語学マニアもビックリの多言語歌詞を操る彼女はチェコでもかなり面白い存在。そして何と言っても母国語のチェコ語の歌詞の巧みさと繊細さが、幅広い世代のチェコ人ファンを魅了しているよう。

チェコの売れっ子映画監督、ヤン・フジェベイク(Jan Hřebejk)監督の『Kráska v nesnazích』(Beauty in Difficulties/Troubles、2004)にトレードマークのアコーデオンを引っさげて女優デビューも。

チェコのフォークやロックの実力派歌手たちが出演してきた歴史あるバルビノヴァ・カフェで定期的にライヴをやってた彼女、いつも満席御礼で"バルビンカの女王”と呼ばれていました。こないだ別のグループのライヴに行った時たまたまカフェの入口で写真発見。

中はフジェベイク監督の映画の中で、アンナ・ガイスレロヴァー(Anna Geislerová)がデートしてるシーンでも出てきました。店内のインテリアもまるでアンティークショップのようなレトロな雰囲気たっぷりのカフェ兼ライヴハウス


今までに5枚のアルバムが出ていますが、その中でもすっごく売れた3枚目『V Hoře』(ヴ・ホジェ=In a Mountain)は今夏キングレコードより日本盤も出ました。『世界の女神(ディーヴァ)たち』全20巻のうちのひとつ。この日本盤に添える歌詞の解説などを書かせてもらったのですが、スペースの都合上、歌詞を要訳しなきゃならず悩んで白髪が増えたような。。。あ、そういうコトじゃなくて…お忙しいところ根気強く助けてくださった監修の北中さん、そして普段は私のチェコ語に関する質問にかなりテキトーな応対(笑)の旦那もこのときばかりは真摯な協力をしてくれて、両氏がいなければどうにもならなかったところ。それから何度もFAXを送ってくださったキングレコードの吉岡さん、この場を借りて感謝申し上げます。他に若いネイティヴの貴重な意見を教えてくれた同僚のミキさんやヤルダ君(→宇多田ヒカルの大ファン)にもmoc děkuju!!

ライヴ前に楽屋を訪ね、日本盤を渡したらとても喜んでくれました。今年6月にお母さんになった彼女、ちょっとふっくらとしてましたが旦那様と赤ちゃんも一緒に来てて、シアワセそのもの。いろいろ質問したかったのに、逆に彼女から“オトコノコ”ってどういう意味?と聞かれていったい??? なんでもお子さんと一緒のときに日本人女性から言われたのを覚えてたんだとか。“chlapeček”の意味です、と答えると満足げに目を輝かせるラドゥーザ。語学マニアの片鱗を見ました。そのうち日本語歌詞でも歌う日がやってくるかも。。。

“chobotnice”の危機〜新国立図書館のゆくえ〜

“たこ”はどこへ行く?


カレル橋の旧市街側向かいに、イエズス会プラハにおける中心地として設立されたクレメンティヌム(Klementinum)という巨大コンプレックスがあります。

この中に現在、チェコ国立図書館が入っているのですが、手狭になっていることと、ここを空けて違うことに使いたいという思惑もあって、新国立図書館のための準備が着々とされてきました。新しく建物から建設するため、コンテスト形式で案を募り、世界中から350ほどのアイデアが出されたのですが、最終的に決定したのがこれ。

[Photo from:MF Dnes/Mr. Lukáš Bíba]
プラハ生まれ、イギリス在住のヤン・カプリツキー(Jan Kaplický)氏の、愛称ホボトニツェ(chobotnice)こと、“たこ”図書館。最初見たときはそりゃあギョっとしました。が、窓が目のようになってたり、単なる本の貯蔵場所というんじゃなくコミュニケーションも考えたコンセプトなど、聞いてみればなかなかステキ。審査員たちも最後は満場一致でこの案を採択したのです。
ですが、斬新すぎるデザインに加えて、プラハ市が用意している候補場所がプラハ城からも近いレトナー公園の端、地下鉄A線のフラチャンスカー(Hradčanská)駅そばのシュペイハル(Špejchar)というところだったので、決まったそばから物議を醸してはいました。

現在のシュペイハルは、トラムの引込み線があって郊外へいくバスが細々と発着している場所。2010年完成をめどに工事準備に取り掛からんとしていた矢先、今週になってまたもや議論再燃。木曜だかニュースを見てたら、ODS(市民民主党=現在チェコ政府与党)の幹部が出てきて、あの案のままなら、プラハ市はシュペイハルの土地を売らないなどという横暴に出ました。

審査員の一人でもあったはずのプラハ市長、パヴェル・ベーム(Pavel Bém)氏もここへきて急に声高に大反対。「カプリツキー氏の斬新なアイデアには賛成だけど、場所があんな歴史地区のとこでは不幸。郊外のパンクラーツとかレトニャニィ、プロセックあたりが適当では」などと言い出しました。

テレビを見てたら、ロンドンにまで生中継し、困惑のカプリツキーさんも登場。

[Photo from:MF Dnes/Mr. Lukáš Bíba]
「私は建築家であって、政治家ではないから…」という彼の言葉に感じとれる誇りと当惑。チェコ人だけどイギリスに亡命した彼、自然物をモチーフにしつつ斬新なハイテク建築で名高いフューチャー・システムズというアトリエを率いる世界的に有名な建築家。彼のお父さんはチェコで有名なガラス作家で、ヴルショヴィツェ(Vršovice)にあるヨゼフ・ゴチャール(Josef Gočár)が作った教会のステンドグラスを手がけています。

チェコ出身の建築家であること、そして国立図書館として要求される様々な機能も見事に満たしたハイテクかつ予算もコンセプトもよく考えられた設計案で、チェコにとっては願ってもない計画だったはず。第一、正式な手続きを経て決定された事項なはずなのに、マトモな反対の仕方じゃないんでは。。。

しかも一番大反対してるのが、この方。。。

[Photo from:MF Dnes/Mr. Lukáš Bíba]
そう、ヴァーツラフ・クラウス(Václav Klaus)現チェコ大統領。そもそもデザインから気に食わなかったらしい彼が言い出したとたん、ODS(クラウス大統領の政党でもある)の面々が一斉にやかましくなりました。クラウス大統領は、「自分の体をもってしてもこの建設を食い止める」とまで言う始末。

いまさら「子供と一緒にプラハ城へ行って、聖ヴィート大聖堂からプラハの街を眺めたときに、あんな建物が目にはいるんじゃ」と感情的に話す政治家たち。
「大体国立図書館なる施設は通常、ちゃんとした国では首都の中心にあるもの。レトナーはプラハ城に近いといってもいわゆる歴史地区ではないし問題ない」と専門家の意見を淡々と述べていたのは、ハヴェル大統領時代からプラハ城に詰めている建築歴史家のズデニェク・ルケシュ(Zdeněk Lukeš)氏。

建築場所込みで決まったコトにケチつけて、デザインは素晴らしいと思うけど場所がよくないなどと言うのも噴飯ものながら、挙句の果て「もうちょっと小さくするか、色を変えてみたら」なんてトンデモ発言をしだす人までいて、これ聞いたときは椅子から落ちそうになりました。
建築の専門家は、それではカプリツキー氏の作品とも言えず、正式な審査を経た結果をバカにしてる、と怒り心頭。当然です。

一番気の毒な当事者とも言える国立図書館長のヴラスティミル・イェジェック(Vlastimil Ježek)氏は、この問題を解決に向けるために他の建設候補地も探していることを明かしました。
専門家の間でも意見は分かれていて、いつも斬新な建物にはとにかく反対!の「古いプラハを守る会」のベチコヴァー女史は意外にも反対はしていないよう。「最初はびっくりしたけど、レトナーに毎年来るサーカスのテントみたいね」と賛成?とも能天気とも取れるご意見。

ヴルタヴァ川沿いの、こちらも建設当時はだいぶ物議を醸したタンチツィー・ドゥーム(Tančicí dům)こと、踊るビルの共同設計者であるミルニッチ(Milunič)氏は、国立図書館は中心にあるべきとしながらも、マラストランスカーあたりがいいのでは、と当初から言っていました。でもまだ彼の意見のレヴェルなら納得できます。

こういうとき必ず意見を求められる元大統領、ヴァーツラフ・ハヴェル(Václav Havel)氏ももちろん登場。

[Photo from:Lidové noviny/Mr. Ondřej Němec]
「ありきたりな建築だったら誰も困ることはない。去年、コンセプトもアイデアもないどうでもいい建築物があちこちたくさんできたけど、それは問題になってないようだからね。どうやらプラハ市はセンスってものがないみたいだね」とピシャリ。「ひとつの政党が文化までコントロールしようとする事態は、既に我々は40年ほどの経験がある…」とも。しかしこれでますますクラウス大統領が頑なになりそうな予感。

私自身は近所にこんな面白い建物ができること、新たな名所になるに違いないとワクワクした思いでいました。プラハ城から見た景観云々って言うなら、もっとそぐわない建物だって既に存在してる。千年にわたる古い建築物を大事に大事に、他国に占領されても大事にしてきた歴史には頭が下がるけれど、同時に「建築博物館の街」の名に恥じないためのこれからだってある。見た目ももちろん大事だけど、見ただけじゃわからないことこそ考慮されるべきだとも。ダンシング・ビルだって大反対されたそうだけど、あれは今や完全に成功例だと思うし。ここへ建設すること前提に、錚々たるメンバーの審査員・専門家達が決めた結果を尊重するべきだと思います。ダダこねて決まってたことが覆るって、日常でも度々経験(もっと小さなことだけれど)するこの国。それでいい目を見るときだってあるけれど、おかしいなとやっぱり思う。。。

プラハの秋満喫

葡萄の葉は美しい赤に


今頃日本は金木犀の香り漂う頃でしょうか。プラハもすっかり秋色に変わりました。

プラハには魅力的な公園がいくつかありますが、この季節はなんといってもプラハ城そばのナヴァレフ(Na Valech)庭園がお気に入り。プラハ城への3つの入口のうち、地下鉄マロストランスカー駅から一番近い入口、つまり旧王宮階段(Staré zámecké schody)を登りきったところに、ひっそりとその入口はあります。プラハ城正門右横から、そして第三の中庭からも入れますが、こちらから公園を抜けて、新王宮階段(Zámecké schody)を下りてくるコースがラクでおすすめ。

ここはあまり団体観光客は来ないし、プラハ城を見学した後に気がつかないで帰ってしまう人も多いのか、プラハ城のすぐ南に位置しながら、いつもたいして混んでいません。チェコ語もよく聞こえてきます。

落ち葉をさくさく踏みしめたり、

プラハ城旧王宮の壁に伝う見事な紅葉を眺めたりしながらお散歩。

ところどころ南に広がる小地区の景色を楽しめるよう展望スペースがあります。

右手にペトシーン(Petřín)の丘、堂々たる存在感の聖ミクラーシュ教会、そして赤い屋根がかわいらしい小地区のパノラマが。

落ち葉が既にたくさん。こんな落ち葉駆除車が出動。

チェコカップルを邪魔しないようにそぉっと撮ったここは、その名も天国の庭園(Rajská zahrada)。ナヴァレフ庭園に続くこの場所、16世紀の昔ハプスブルク家フェルディナント1世のプライヴェートガーデンとして作られ、その当時から葡萄の木が植えられていたのだとか。



夏の強い日差しと違って、秋の柔らかい光が照らす葡萄の葉のグラデーションは眺めてるだけで穏やかな気持ちに。

さてここで、リュブリャーナ生まれの建築家プレチニク(Jože/Josip Plečnik, 1872-1957)の名前を忘れるわけにはいきません。マサリク大統領時代、聖ヴィート大聖堂や中庭の改築を請け負った彼は、プラハ城の南に広がるこの3つの庭園(Rajská zahrada, Zahrada Na Valech, Hartigovská zahrada)にも手をいれ、南庭園(Jižní zahrady)としてひとつにつなげました。
チェコの近代建築の父とも言われるヤン・コチェラ(Jan Kotěra,1871-1923)とともに、ウィーンアカデミーのオットー・ヴァーグナー(Otto Wagner, 1841-1918)のもとで建築を学び、コチェラの後任でプラハのウンプルム(Uměleckoprůmyslová škola v Praze)でも教鞭をとっています。プラハ城のほかにプラハで最も重要な彼の建築はこれ。


ヴィノフラディ地区にある聖心教会(1928-1932)です。
地下鉄A線Jiřího z Poděbradで降りたら、TV塔とともに見逃せない建物です。

プラハ城の南庭園に話を戻します。この庭園内をゆるやかに西へ登っていくと左手の壁越しに階段が見えてきます。


「天国の庭園」の先の階段を登ってフラッチャニ広場に出たら、左手にUターンすると、新王宮階段で小地区まで戻れます。

映画やCMにも頻出のこの階段、ホントいつ来ても絵になる階段なのです。南公園は冬場は閉鎖されてしまうけれど、近くいらっしゃる方はお城見物の合間に立ち寄ってみてください。

世界の車窓から 〜プラハ・マサリク駅〜

今のマサリク駅は3度目の名前!


プラハには“ただいまの温度”を表示する電光掲示板がところどころあるのですが、昨日の日中見たときは32度だったのが、今日の夕方はなんとたったの10度。1日でそんなに差があると、体がついていけません。。。

日々の違いはもとより、1日内(つまり朝晩と日中)の寒暖差も大陸性気候らしく激しいのです。プラハの旅の服装のヒントは、とにかくこまめに脱ぎ着しやすいアイテムを揃えること。
具体的に言えば、首まわりが暖かいとだいぶ違うのでマフラーとかスカーフをカバンに入れて持ち歩くとか、風を通さない軽めのジャンパーを用意する、とかそういう工夫。旅行中は軽いにこしたことはないし、地元の人も観察してると重ね着・脱ぎ着を上手にしています。
日本よりもだいぶ乾燥しているので、現地のドラッグストアで調達するのもいいですが、ハンドクリームやリップクリームも特にこれからの季節、ババシャツ&タイツとともに必須アイテムでしょう。

さて、昨日からの続きで、今日はプラハ・マサリク駅をご紹介します。

共和国広場から歩いてすぐのこのこじんまりとした駅。現在は主に国内路線の発着に使われていますが、その昔、オーストリアハンガリー帝国時代、ウィーンからプラハドレスデンへと続く帝国でも最も重要な国際路線のひとつとしてプラハにできた最初の鉄道駅なのです。

駅前のトラム停から5番や26番トラムで南東に向かって一駅いけばプラハ本駅、歩いても行ける距離にあります。

プラハ本駅にももちろんありますが、駅にはインフォメーションというものがあります。マサリク駅のインフォはかわいい看板付き。でもいっつも電気が暗く、開いてるのか閉まってるのかわからない(笑)。だから外から見てやっていないようでも、ガラス越しに中を見て、PCの前に人がいるようだったら、やってるということ。

ここは鉄道の旅をする人には使える場所。英語で話しても通じないかもしれませんが、行きたい場所と往復か否か、行きたい日時などをアルファベットでメモって見せれば、PCから時刻表を打ち出してもらえます。例えば、目的の電車がマサリク駅からの発着じゃなくてプラハ本駅(Praha hlavní nádraží)からだとしても教えてもらえるので、混んでて浮浪者のおじさんたちが多い(ま、ここにもいますけど…)本駅で調べてもらうよりお得かも。

通りから入るとすぐ電車の発着が出る電光掲示板やらカフェやらパン屋、キオスクなどがあるホールがあって、その奥がそのままホーム&線路、つまりオール・ワン・フロアの迷いようがない駅。この1番線の横にやはりVIPルームがあって、こちらも本駅に負けず劣らず、扉の奥は別世界。

やはり豪華な会議室のような雰囲気。

こんなアンティークな電話器もあります。

グローブみたいだけど、座り心地よさそうな椅子も。


このVIPルームには、この駅にちなんだ二人の重要な人物の像が飾られてるのですが、そのうちの一人がヤン・ペルネル(Jan PERNER)さん。1845年オロモウツプラハ間を走ったのが初めての電車で、駅の場所選びから尽力したのがこの技師のペルネル氏。まだ鉄道の旅が安全ではなかった頃のこと、残念にも鉄道の事故で殉死した、まさにチェコの鉄道の功労者です。そして、もう一人はこの人。

そう、この駅の名前にもなっているチェコスロヴァキア初代大統領、トマーシュ・ガリグ・マサリク(Tomas Garrigue MASARYK, 1850-1937)です。

でも、現在の“マサリク駅”(Praha Masarykovo nádraží)は、“三度目のマサリク駅”なのです。つまりこういうことです。
1. 1845-1862:Praha(プラハ駅)
2. 1862-1919:Praha Statní nádraží(国立プラハ駅)
3. 1919-1940:Praha Masarykovo nádraží(プラハ・マサリク駅→1回目)
4. 1940-1945:Praha Hybernské nádraží (Prag Hibernerbahnhof)(プラハ・ヒベルニィ駅)
5. 1945-1952:Praha Masarykovo nádraží(プラハ・マサリク駅→2回目)
6. 1953-1990:Praha střed(プラハ・中央駅)
7. 1990年3月〜現在:Praha Masarykovo nádraží→(プラハ・マサリク駅→3回目)

オーストリアハンガリー帝国の重要な駅として作られた時代(プラハ、国立プラハ駅)→第一次世界大戦後の帝国解体とともにチェコスロヴァキアが独立を勝ち取り、誇らしげに付けられた初代大統領の名の駅。それが一世代ともたずドイツ占領時代に入り、ヒベルニィ駅と屈辱の変更を余儀なくされる。戦後のつかの間の平和を象徴するような再びのマサリク駅時代。
しかしながら48年に共産党が政権掌握。民主主義者として知られたマサリクは、共産主義者たちに嫌われたのでしょう、その後はプラハ中央駅(Praha střed)と呼ばれることに。長かったプラハ中央駅時代のために、年配の方の口からいまだこの名前を聞くことがあります。そして89年のビロード革命を経て、まるでマサリクを継承するようなヴァーツラフ・ハヴェル(Václav HAVEL)時代の幕開けに、三度目のマサリク駅となりました。
開通してから実に6回も名前が変わった駅。この小さな駅の名前の変遷は、まさにチェコ近代史とリンクするのです。
2000年に生誕150年を記念して建てられた銅像のマサリク元大統領は、プラハ城正門の前で今日も静かに正午の衛兵交代式を見守っていることでしょう。

世界の車窓から 〜プラハ本駅〜

『世界の車窓から』はチェコ特集中


フランス旅行記を仕上げる前に、次々と面白いことが起こってついていってない今日この頃。単に筆が遅いだけなんですが、旅行記はこっそりこの日付の前にアップしちゃおうと思います(夏休みの絵日記とかまとめて最終日に書いてたクチ…)。なので万一楽しみにされている方がいらしたら、もうしばらくお待ちを。

言い訳が済んだところで、今日の話。秋をすっ飛ばして寒い日が続いていたプラハですが、最近持ち直し、ぽかぽか陽気で半袖でもいいぐらいだった今日の午後。こんな秋晴れのいい日なのに、よりにもよってパスポートを新しくしたばかりに外国人警察へしぶしぶ行ったのだけど、受付人数が多すぎて処理されず。成果なくトボトボと戻りました。でもまぁ初めから期待してないので、さして怒りもなく。帰りのトラム停留所で見た光景。

鳩はウロウロしてるといやですが、暖かい日の陽だまりにのんびりしてるのはかわいい。平和の象徴とはまさにこの瞬間。

ついでにこんなお茶目なところも。

こないだLounyに行った時に見かけたもの。アルファベットのロゴの上に器用に座る鳩たち。“A”の上は痛そうだから仕方ないとして、“T”は定員オーバー、隣の“E”が空いていますよ、と言いたい。一緒に見てた旦那曰く、「“E”の子が“T”の子に迫ってて“T”の子が迷惑してる」んだそう…。確かにそんな気もしますが、ほのぼのが急に生々しくなりました。
“Ř”の上のアクセント記号、ハーチェクのくぼみを椅子がわりにしてる子がチェコっぽくていいでしょ?
…さ、いいかげん本題に入ります。

蒸気機関車アルバトロス号★

日本にいたときお気に入りだった番組『世界の車窓から』が今チェコを特集してるとか。で便乗特集としてrybicka日記内でも秘蔵写真なぞを、と思い立ったわけです。

これが放送されたアルバトロス(Albatros)号。今年の春に乗りました。鉄郎鉄子がわんさかいました。

座席はコンパートメントになっていて、定員8名。

ワンコも背伸びがつらいものの「世界の車窓から」。

この蒸気機関車は春〜秋の間の主に週末、特別運行をしていて、たいていプラハ・ブラニーク(Praha Braník)駅から出ています。Jan Hlinák(ヤン・フリナーク)さん撮影の蒸気機関車アルバトロス号の写真集はこちらから。

プラハ本駅★

さて、プラハにはいくつか鉄道駅がありますが、一番国際列車の発着が多い大きな駅はプラハ本駅(Praha hlavní nádraží)、時刻表ではPraha. hl.n.と略して書かれます。

1871年から駅として使われているここはAntonin V. Barvitiusらが建てた元の建物を、1901〜1909年セセッション様式で増改築したもの。チェコのセセッション建築家として有名なヨゼフ・ファンタ(Josef FANTA)がこれを手がけました。このファンタが作った駅のドーム型のホールが、現在はアルフォンス・ムハ(フランス語読みならミュシャ)の絵もあるカフェになっています。

その名もファントヴァ・カヴァールナ(Fantova kavárna)。彼の写真もあります。

ヨゼフ・ファンタは私のお気に入り建築家のひとり。プラハの中心で主な彼の作品として、有名なホスポダ、ウ・ヴェイヴォドゥー(U Vejvodů)のファサードやヴルタヴァ川沿いのフラホル(hlahol)劇場などがありますが、一番私が好きなのがこれ。ヴルタヴァ川沿いの建物のなかでも堂々として美しいこの建物。

共和国広場(náměstí Republiky)からヴルタヴァ川へ続くシュテファーニク橋(Štefánikův most)のたもとにある産業貿易省ビル(budova Ministerstva průmyslu a obchodu)。これはよくヤン・レツェル(Jan LETZEL, 広島原爆ドームの建築家)の作品と間違われているらしいのだけど、ヨゼフ・ファンタ作です。特に夜は上のドーム部分の明かりがとっても素敵なのです。

ボケボケですみませんが、プラハにいらした際は是非ここの夜景チェックを。

さてプラハ本駅に話を戻します。このホームのすぐわきに普段は公開されていないVIP待合室があります。

ホームに入る電車が見える位置にありながら別世界。

大統領など、お偉いさんご一行の待合室なのだそうですが、ちょっとした会議も開けそうな落ち着いた部屋。

そして壁に描かれたこの絵。どこかはもうおわかりですね。

明日は(→うまく筆がのれば…笑)プラハ・マサリク駅(Masarykovo nádraží)を特集します。